由緒と御祭神
 
三蔵稲荷神社御祭神
宇賀魂大神(うがのみたまのおおかみ)=倉稲魂神・宇迦之御魂神
五穀を始め、食物を司る。
また屋船の神として家屋を守護され、人が生活する中で欠くことの出来ない衣・食・住の神である。
猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)=猿田毘古神
海陸の道で先導され、それを守護される。従って通商・貿易を司り、また土の
御祖として田畑山林・縁結び・交通安全・安産・入学など人々を良い方向に
導かれる神である。 *別名 大地御祖大神
大宮女大神(おおみやめのかみ)
神楽・舞踏の始祖として、演芸・歌劇・茶道・華道の守護神とされ又、延命・
愛敬の神として商売繁盛・一家の親睦・社交・和合を司る創作の神である。
*別名 天宇豆女命(あめのうずめのみこと)=天鈿女命
三蔵稲荷神社表参道鳥居
 
由緒
 
福山城 三蔵稲荷神社は、福山の開祖、水野勝成公が福山城を築城する時に、守護神として祀った神社です。
勝成公は二十一歳の時、三河国刈屋の城より放浪と武者修行の旅に出ました。その際に、祖父、忠政公が京都伏見稲荷大社より受けられたご神体を授かりました。勝成公は、四国・九州での戦においてもご神体を肌身離さず持ち続け、お稲荷さんのご加護を受けることができました。元和五年(1619年)、この福山の地に城を築き、城内の北側(鬼門)に備後の国の守護神としてお祀りしたのが、三蔵稲荷神社の起源です。以来、代々の福山城主が直祭し、藩内には多くのご分社がありました。
 
この神社の伝説
 
江戸時代、後期のお話。
福山藩主、阿部家のお納戸役(金銭管理の役職)の武士が、藩のご用金をたくさん持って、福山から江戸に向かいました。この道中は、どろぼう”や強盗が頻繁に現れて、危険であると言われていました。ときに人殺しもあったそうです。例外なく、お納戸役の武士も何度か、襲われてしまいました。しかし、不思議なことに、いつもどこからともなく、一人のいかめしい武士に助けられるのでした。それが何度も続きました。
その武士に名前を聞いてもどうしても教えてくれません。ある時、逃げようとする武士にお納戸役が武士の袖をつかみお願いします。「せめてお名前だけでも。」
「わたしは、福山の城北にやっかいになる、三蔵と申す者でございます。」と言い残し、武士は姿を消してしまいました。福山の城北といえば、お宮やお寺の多いところで、人が住むようなところではない。お納戸役は、ようやく気付きます。あのお方は、城北の稲荷神社のお使いギツネ様であると―。
お使いギツネ様は、福山藩主を始め、多くの福山藩武士たちを守っていたそうです。この出来事を機に、阿部家の江戸屋敷と福山城内に、三蔵稲荷の社をつくって祀りました。
それから何十年か経った安政二年(1855年)、江戸に大地震が起きました。そのときに、江戸屋敷にいた阿部正弘公は、家来たちと屋敷の外に慌て逃げるときに、屋根の上に、三蔵ギツネがいることに気付きます。そして、大慌てで逃げ惑う家来たちに、三蔵ギツネの存在を告げました。お陰で、家来たちは落ち着きを取り戻し、火元を消したり家具を運び出したり、冷静に行動することができ、難なく災害を乗り越えることができたそうです。
以来、三蔵ギツネを祀った三蔵稲荷は、今も福山城跡地に祀られています。

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